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地震発生確率の信憑性  ★人生観の問題?


地震予知報道の信憑性ってどうなんでしょう。

「M7級の首都直下地震が4年以内に起こる確率は50%」とか聞いて、皆さんどうされますか。
こういう報道を聞いて「何か具体的な行動」を起こされた方はいるでしょうか? 何をしたでしょうか。

リュックサックに防災グッズを詰めたり、慌ててホームセンターへ行きタンスや食器棚用の家具転倒防止
器具を買いに行ったとか、せいぜいその程度ではないかと思いますが。

地震の発生確率が発表されたりするときにいつも信憑性に疑問を持っていました。


「4年以内に発生する確率70%」 と 「30年以内に発生する確率98%」

どちらが、切迫感があるかというと、おそらく前者の方だと思われます。30年先だとまだ随分先のことだし
差し迫った感覚が実感できないからです。「おそらくそのころはもう死んでるし」とか思う人も多いかもですね。

4年以内にとなると、ほぼその時も生きていて今とたいして変わらない生活をしているだろうと感じる人が
多数でしょうから、何か現実味を覚えるのです。「じゃあ、なにしたらいいんだ?!」と取り乱す人もいるかも
知れません。


でも、考えてみましょう。前者でも後者でも「明日大地震が来るかもしれない」し、「死ぬまで一度も来ない
かもしれない」のは同じなんですね。100%でないんですから。

確率の根拠って何なんでしょう? 調べてみても専門的な計算などは難しくてよくわかりません。



地震予知は可能と信じる学者の方の拠り所として「地震発生周期説」と「前兆説」があります。

前者は、過去に一定の間隔で地震が発生してきているというデータをもとに、例えば150年に1回は
一定規模の地震が今後も発生する可能性が高いだろう、という考え方です。さらに専門的な複雑な
計算があって、実際に起きるかどうかを確率論で示したものです。

一方後者は、大地震の発生前には明らかに特徴的な現象が起きるとする考え方です。特徴的な「前兆」
の過去の事象を蓄積し、同様な現象(自然現象・魚類、動物の異常行動など)が起きた場合に、大地震が
発生する可能性が高いであろうと判断する考え方ですね。

でも、こうしたデータをもとに予測した発表があっても、実際その通りにはなりません。予知外の地震も
多く発生しています。結局確率の数値や現象とは無関係に、いつでも・どこでも大きな地震は起こり得る
でしょう。

そうすると、「あんな発表って意味あるんですか?」 ということです。


東海地域などは随分前から「もういつ来てもおかしくはない」と言われているようですね。

「東海地震予知」のために、国策として現在までに充てられた国費は現在までトータルで3000億円以上
なんだそうです。「地震予知」は地震研究者の有力な予算獲得手段になっているんだそうですね。

研究自体が無駄だということを言いたいのではありません。
◯年以内に◯%の確率で発生するだろう と発表したと思ったら数値をあとから変更したりとか、
そういうわけのわからない民衆の不安を煽るだけの不確実な発表はやめてほしいなと思うのです。

地震予知の現状は見ての通り当てになっていません。そろそろ「地震は予知できるという幻想」は捨て去る
べきではないか、という考え方に賛成です。

情報を受け取る側も、そもそも完璧な予知・予測は不可能であることを理解し、起きてしまったらそれは
それで、少しでも被害を少なくするためにはどんな対策・準備・心構えを普段からすればよいかを考える
べきですね。

そもそも日本ならいつどこで大きな地震が発生してもおかしくはないのですから、起きる可能性が高くなった
と聞いたところで、被害を避けるためには海外へ移住でもする以外ないですもんね。

それでも生まれ育った日本に住みたいか、移住するか覚悟を決めるって話です。
















地震について

地震といって何を思うかと言えば、何といっても東北の震災が思い出されます。

あの時どこにいて何をしていましたか?僕は仕事の外出中で神奈川県藤沢市内の江ノ電の踏切待ちの時でした。車が飛び跳ねそうなくらい揺れたのを憶えています。

もう3年近くか経過したんですね。人は月日が経つと色々なことを忘れてしまいます。もうあのような地震・津波はもしかしたら生きている間には来ないかもしれないけれど(いや明日にでもくるかもしれないけれど)、あの時の経験で何を思ったか、もう一度思い返してみようと思います。

一番感じたことは、自分にとって、自分の人生にとって大切なものは何かということを考えさせられる機会になったということでしょうか。人はイザって時に本音・本心が出ると思います。また、その人の今まで生きてきたそのものが出る、、というか。

人間だれもが死にたくありません。究極の選択を迫られるような場面に人生で直面してしまったときに自分はどのような行動をとるのか?今は冷静に考えられますが、それも「たぶんこうするだろう」というとこまでしか言えません。それは、「そうしたい」という自分の願望、希望的観測があるため、やっぱり直面しないと実際はわからないというのがホントのところですね。

こんなこと普段は話さないし考えませんよ。でも、そうですね、年に1回くらいは身近な家族(夫婦・親子・兄弟)や恋人、友人関係と話題として話してみてもいいのではないでしょうか。人間、言葉に出すと、または人に話すことによって自分の考え方を整理出来たり再確認出来たりしますからね。

一番大切にしたい人やものは何なのか?そのために今何をやりたいのか、やるべきか。どうやってこれからの残された人生を生きていこうと思うか。
普段忙しさにかまけて忘れがちになっていたことをあらためて思い返す機会になったと思います。

東北の方々の一日も早い復興を願っています。


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